岡田製糖所
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岡田製糖所
岡田製糖所は阿波の国・徳島県板野郡にあります。 阿波の国の和三盆糖づくりは、安永五年、いまから二百年あまりも前に始まりました。
ふるさとの幸せを願う一人の青年 丸山徳弥の決死の努力で、
この上板町に伝えられたのでした。
その後、蜂須賀藩の尽力もあり、阿波和三盆糖の名は日本全国に広がりました。
私共岡田製糖所では当時の手づくりをそのまま守り、二百年前の製法で自然の味を
今も作り出しています。
自然のぬくもりを、恵みを、味を、そのままに指先から伝える阿波和三盆糖、
その素晴らしさを是非ともご賞味く下さい。
和三盆糖の歴史
現在和三盆糖が作られているのは、徳島県、香川県の両県のみです。
共に原材料の竹糖が栽培されているのは、徳島県と香川県の県境にある阿賛山脈の
南側と北側にあたり、同地域とも言えます。
言い伝えでは旅の修行僧が立ち寄ったとき、九州にて同じような土質で砂糖黍が
栽培されていた事を土地の者に伝え、それを知った丸山徳弥と言う若者が
単身日向の国に赴き、砂糖黍の苗と製法を修得し帰ってこの地に砂糖黍栽培の礎を
築いたと言われています。
日本の砂糖黍栽培の歴史は、徳川吉宗が全国各地に奨励したのがその始まりの様です。
和三盆糖の原材料となる「竹糖」はその時代から土地に合った品種として残ってきた在来種と思われます。
戦前期においては、まだ西日本数カ所にて砂糖黍の栽培が行われていた様ですが、
細くて効率の悪い「竹糖」は、今では和三盆糖として使用される物を除き絶えてしまった様です。
和三盆糖の製造過程
1.砂糖黍の搾汁
12月に入り、収穫され製糖工場に運ばれた砂糖黍は機械で圧搾され、搾汁されます。この砂糖黍を絞る場所を「締場」と呼んでいます。
昭和24、5年までは石のローラーを牛が回して砂糖黍を絞っていましたが、今ではこの行程だけは全て機械で行います。
その昔牛の力だけで砂糖黍を絞っていたときには、砂糖黍を絞るには多くの人手と時間がかかりました。地元だけではそれほどの労働力を一時期に確保出来ないので、徳島でも更に山沿いの地方から出稼ぎを頼み、冬の間だけこちらに住み込みで働いていました。その人たちを「締め子」と呼んでいます。今も砂糖黍を絞るのは締め子さんで12月になるとやってきます。
収穫された多くの砂糖黍は、遅くても2月上旬くらいまでには絞ってしまわなければ傷んでしまいます。
それで昔は朝暗いうちから夜遅くまで働いていました。
動力が入り機械で砂糖黍を絞れるようになって、夜まで仕事を続ける必要はなくなりました。
しかし朝暗いうちから仕事にかかる習慣はずっと変わらず、近年若干遅くなったとは言え、
締め子が起きて仕事にかかるのは4時過ぎです。
そのかわり今では仕事が終わるのが早くて、昼には締め場は終了します。
下写真は砂糖黍を機械で絞っている所ですが、同時に砂糖黍の細さも良くわかると思います。
また絞りかす(「締めかす」と呼びますが)は繊維質が多い事、またまだまだ糖分が残っている事などから、
牛等の飼料や肥にされます。
2.荒釜 あくぬき
砂糖黍から搾汁された液を煮詰めてゆくのが「釜場」の作業です。
釜場は幾つかの段階に分かれていて、その最初が荒釜でのあく抜きです。
砂糖黍を絞った得られたばかりの汁は、あく分(主に砂糖黍の穂の部分から出る)を非常に多く含んでいて濁った緑色をしています。
荒釜はこのあくを抜くためにしつらえられた釜です。
この釜に半分くらいだけ砂糖汁を入れ加熱します。するとあくが緑の泡と共に上部に沢山出てきます。
あく抜きはここでこのあくを目の細かい網で根気よくすくい取るのです。
まず前段階の「一番あく抜き」をしたあと、次に石灰分を加えますと更ににあくが浮き上がってきまして「2番あく抜き」作業を行います。
しかしながらそれではすくい取れないあくも幾らか残ります。
その為にこの釜だけには端に隙間を開けた蓋が作られていて、その後はこの蓋をして加熱を若干強めます。
するとあくが吹き上がってきた泡の上に乗って、縁に沸き撒ける事になります。
加熱をうまく調整してあくが完全に切れるまで続けます。この作業を「ふかし」と言います。
この工程を経て一釜上げるのにおよそ30分かかります。
また1つの釜に一人の割で人がつきっきりになるため人手と手間のかかる作業となりますが、
このあく抜きを完全にし終わらないであくが残ると最後の和三盆糖の色がドス黒くなってしまいます。
単なるあく抜き作業ですが、出来上がりの品質をも左右する重要な工程です。
ただ一部の所ではあく抜き作業の省力化の為に、薬品類とフィルターを用いた機械を使用しているところもあります。
3.すまし桶 不純物抜き
荒釜にてあくを抜いた砂糖黍の絞り汁は少々飴色をした液体です。これを本格的に煮詰める前に「澄まし」を行います。
最初砂糖黍を絞る時には特に洗浄等は全くしないで、農家の人が畑から収穫したそのままの砂糖黍を使用しています。
こちらで取れる砂糖黍は消毒を全く必要としないのでその点では問題ないのですが、畑からの砂、泥の様なものが混入します。
この砂、泥と言った物を沈殿分離させるのが「澄まし」作業です。
「澄まし桶」と呼ばれる桶に荒釜がら上がったばかりの液を入れ暫く放置し、砂や泥などの不純物を沈殿分離します。
そして上部の澄んだ部分を次の行程に送ります。現在では桶は使わずステンレス製の「澄まし槽」を用います。
4.中釜、上げ釜、冷やし釜
澄ましを経た砂糖黍汁は、引き続き中釜、そして上げ釜と炊きあげられます。中釜は単に煮詰め釜で、上げ釜はその名の通り仕上げの釜で、この釜で煮詰め上がりを見て、「よし上がり」と言うことになれば次の冷し釜に移され冷却作業に入ります。
和三盆糖の炊き上げは釜場作業の中で最も重要であるにも関わらず、温度計も糖度計も一切使わず、かき混ぜる竹棒からのしたたり具合と、あとは勘だけで上がりを判断します。
ここはこの様に職人技的要素が大きく、通常最も経験を積んだ者がその役にあたり「主炊き」と呼ばれます。
砂糖を絞る締め場から釜場までは一連の流れ作業になるので、「主炊き」はまた締め場の責任者と協議して、その日一日の作業全体をも取り仕切ります。上記写真で、中央で釜を炊いているのが「主炊き」、左の女性が「中炊き」です。
釜場風景では、左からステンレス製の釜が3つ、一番右に木製の釜が見られると思いますが、左からの2つが中釜、主炊きが竹棒をさしているのが上げ釜です。
木製の釜が冷し釜で、これには冷却専用の釜であり加熱設備は有りません。そのかわり撹拌装置が据えられていて、撹拌しながら自然冷却します。
単に煮詰めて冷せば砂糖が取れるかと言うとそう簡単ではなく、砂糖を作る場合「結晶化」と言う過程が必要です。
丁度良い大きさの砂糖の結晶を得るには、実はそれなりの手順が必要なのです。
煮詰めたまま、そのまま冷却しますと、砂糖の結晶があまり成長せずに半ば水飴状になってしまい、 後の精製作業において、砂糖があまり取れないと言うことになってしまいます。
その為に通常の砂糖の場合と同じく、煮詰め上がりの最終段階で、まず少量、種となる砂糖(上白糖)を加えます。
そうすると糖液の中でそれが核となり結晶化が一気に進みます。
その後、結晶化が均一になるようにしながら少しずつ冷却するのが、冷し釜の役割です。
丁度良い冷却過程の、古くからの経験則が、写真の木製の釜と撹拌冷却です。
ちなみにこの木製の釜は時折修理はしますが、30年以上同じ物を使っています。 10年ほど前、これをステンレス製の釜にした事がありますが、どうも上手く仕上がらないので、元に戻した経緯があります。
5.冷やし釜 冷却 結晶化
冷し釜で撹拌冷却されると、かなり粘度がましてどろっとした物になりますが、まだかなり熱を持っています。
それを更に冷却するために、「冷しカメ」と呼ばれる素焼きのカメに移して放置して荒熱を取り、冷却結晶化させます。
次第に浅い茶色の半固形の状態になり、その後、更に大きな樽に移して保存します。作業を行っている冬の気温では、上部は完全に固形化します。
この精製して和三盆糖になる前の、いわゆる粗糖の物を「白下糖」と呼びます。恐らく「白くなる前の砂糖」と言う意味あいがあったのだろうと思われます。
6.荒掛け 一度目の糖蜜分離
白下糖が作られて少なくても1週間以上寝かした後、順次「研ぎ」作業に入ります。
研ぎとは和三盆糖独自の精製工程の事です。
一般的な砂糖の主成分はショ糖であり、グラニュー糖や上白糖の成分は殆どこのショ糖です。
またそれらを見ればわかるとおりショ糖とは本来白い物です。和三盆糖の白下糖も研ぎと言う方法を用いず一般の砂糖を精製する機械を用いて精製すれば、それらと同じ物になるでしょう。
要するに研ぎとは不完全な精製工程です。
しかしその為に和三盆糖は元の砂糖黍の美味しさをそのまま引き継ぎ、普通の砂糖とは全く違った物になりえたのです。
砂糖の精製工程とはすなわち粗糖から「糖蜜分」を抜く事です。
白下糖で結晶化しているのは純粋な砂糖分であり、それに液状の糖蜜分がからんだ格好で半固形状態となっています。
その糖蜜分を抜く最も直截な考え方は、糖蜜分を「搾り取る」と言う方法です。和三盆糖精製も基本的にはその方法を採りました。
まずは樽に保存して有った白下糖を八等分し麻の布で包み、箱の中に入れて、てこの原理を用いて天秤棒を用い石の重しをかけます。
現在のこの機構は昔の酒糟絞りと酷似していまして、明らかにこの機構を流用した物だとおもわれます。
この状態で丸一日、白下糖は半固形なので絞られた糖蜜は地下に掘られたカメに溜まります。
最初のこの作業を「荒がけ」と呼びます。
7.研ぎ 糖蜜分離を繰り返す
先に「荒がけ」されて蜜を抜かれた砂糖は幾分白くなって、次の日押し槽の中から取り出されます。
丸一日圧力をかけてあったので、かなり水分の抜けた状態になっています。
このまま幾ら置いて有っても糖蜜は抜けず、それ以上白くなる事は有りません。そこで更に糖蜜を抜くために水を使います。
手水をつけて、上げてきた和三盆糖を練ってゆきます。この行程を「研ぎ」と言います。
水分を含まされ、柔らかくなった砂糖は再び麻の包みに入れられ、押し槽に移され圧力をかけられます。すると水と糖蜜が一緒に絞られ抜けて、砂糖は更に白くなります。
以上の工程を何度か繰り返す事によって、より白い砂糖が得られます。
和三盆糖が製造された当初、約三回研いでいたので「三盆糖」と名が付いたと言われています。現在では更に白い物が好まれ、四回か五回行うのが通常です。
ただ研ぎを繰り返す度に歩留まりも悪くなります。
研ぎは気温湿度、そして砂糖の性質によって水の量、研ぎの時間等調整する要があり、歩留まりも良くして均一な砂糖を手際よく仕上げるにはかなりな経験が必要です。
研ぎは一度の研ぎに一日かかるのみならず熟練した職人が必要なこともあり、和三盆糖製造において、この古い手法を守って作っている所は非常に限られています。
8.粉砕・乾燥
研ぎの過程を経て仕上がった和三盆糖はふるいにかけられ、その日のうちに乾燥に回されます。
湿った和三盆糖を放置しておくことは非常に危険で、気温が高いと含まれている糖蜜分によりすぐ発酵臭がしてきます。場合によってはカビがはえることがあります。
和三盆糖の乾燥は日陰干しです。風通しを良くした建物の2階に蚕棚の様な物をしつらえ、そこに広げて乾燥させます。
乾燥後は樽に移し出荷まで保存します。
和三盆糖は非常に湿気を吸いやすく、また湿気が有るとすぐ固まります。
しかし元々自身で糖蜜分を保有している為、特に湿気が無くても置いておくだけで固まってきますが、それは品質自体には全く問題は有りません。大体の場合保存も常温で結構です。
ただ多湿な場所に有るとカビがはえて来る危険性も有るので、湿気だけには気をつけて下さい。
ふわふわとした食感と上品な甘みが魅力の阿波和三盆糖。
紅茶やコーヒーにいれても良いですし、そのまま舐めても美味しく召し上がれます。