味噌の歴史と起源に迫る!日本人の食卓を支える調味料を知ろう

2種類の味噌と大豆

日本の伝統的な発酵調味料「味噌」。味噌は古くから日本人の生活を支える、なくてはならない食品です。

今回はそんな味噌がどのようにして生まれ、現代まで親しまれてきたのか、起源と歴史について迫っていきます。

もくじ

味噌の起源

大豆と味噌

日本古来の伝統食品である「味噌」。

大豆や穀物由来の発酵食品でもある味噌は、いったいいつ頃どのようにして生まれたのでしょうか?ここでは味噌の起源について解説していきます。

味噌の起源は2つある!?

味噌の起源はハッキリと解明されていませんが、2つの説があると言われています。

1つ目の説は古代中国から伝えられたというもので、もう一方の説は日本で独自に誕生したというものです。

それぞれの説を紐解いていくと、現段階では古代中国から伝えられたという説が有力だと考えられています。

味噌の起源① 中国伝来説

古代中国にあった「醤(しょう/ひしお)」という食品が、味噌の起源ではないかという説。

醤とは鳥や獣、魚の肉をたたいて潰し、雑穀・麹・塩で漬け込んだ発酵食品のこと。紀元前11世紀頃の中国の古書「周礼(しゅうらい)」に「醤」の文字を確認できることから、この頃にはすでに「醤」が存在していたと考えられています。

古代中国の「醤」が日本に伝わったのは7世紀頃。飛鳥時代に行われていた中国への派遣団「遣唐使」により、仏教をはじめとする様々な文化とともに伝えられたとされています。

「醤」の文字が日本ではじめて確認されたのは、701年の「大宝律令」という文献。「末醤」という文字が出てくるのですが、中国の「醤」をアレンジしてできた新しい食品ではないかと考えられています。

この「末醤」=「みしょう」という音が時代とともに変化を遂げ、「みそ」になったと推察されるのです。また、「末醤」という「醤」に関わる役職名も記されていることから、当時は国の政策として「醤」を製造していたのではないか?とも考えられています。

中国の料理に使われる「豆板醤(トウバンジャン)」や「甜面醤(テンメンジャン)」、韓国料理で使われる「コチュジャン(醤)」、日本の料理で使われる「味噌」や「醤油」はすべて「醤」の文字に関係する発酵食品。さらにタイには「ナンプラー」という魚醬もあります。

古代中国の「醤」という発酵食品が長い年月をかけてアジア各地に根付いたのかもしれません。

味噌の起源② 日本独自説

古代日本の塩漬け食品が進化したのではないかという説。

縄文時代後期から弥生時代のものと思われる住居跡遺跡から、塩漬けの食事跡が発掘されています。

当時の食事事情や生活環境を考えると、食料を腐らせずに保存することは生命に関わる大変重要なことでした。

そんな環境下の中で考えられたひとつの食料保存技術が「塩漬け」です。

塩漬けは名前の通り野菜などを塩に漬けて保存する方法で、浸透圧の働きによって腐敗菌の働きを抑制することで食料の長期保存を可能にしています。

そんな塩漬けですが、食べるまでに手間がかかるほか、味も良くないというデメリットもあります。そのような中で試行錯誤を繰り返した結果、煮た大豆を塩漬けしたものが生まれました。

これが原始的な味噌とされ、現在へと至る味噌の起源と考えられています。

味噌の歴史① 平安時代~室町時代

スプーンで味噌をすくう

日本の歴史にはじめて味噌が登場した頃から人々の間に味噌が広まっていくまでの時代である「平安時代~室町時代」までの歴史について解説していきます。

平安時代:「味噌」は贅沢品!

(1)平安時代の味噌は「粒状」

日本ではじめて「味噌」の存在が確認されたのは平安時代のこと。

901年の「三代実録」に「味噌」という文字が出てきます。

平安時代の味噌は塩漬けの大豆を乾燥させたようなもので、現在の味噌とはまったく異なる形状をしていました。現在の「浜納豆」や「大徳寺納豆」にその姿が残っています。

(2)薬や食品となる贅沢品

平安時代の味噌は、現代のような調味料としての役割はありませんでした。

そのままの状態で食べるというのが一般的で、食品としての役割以外にも、「薬」としての役割を果たしていたそうです。

また、当時の味噌は贅沢品であり、庶民には縁遠いものでした。貴族や寺院など、地位の高い人たちの給料や贈り物として使われていたのが味噌だったのです。

鎌倉時代:調味料として使われはじめ、味噌汁が誕生

(1)「粒状味噌」から「すり味噌」へ

鎌倉時代に中国からやってきた禅僧が日本に「すり鉢」を伝えたことで、味噌に変化が起こります。

すり鉢を使い、それまで大豆のままだった味噌をすりつぶして作った「すり味噌」が登場したのです。

すり味噌は粒が粗く残った状態でしたが水に溶けやすかったため、食べ方に広がりが生まれました。

(2)味噌汁の誕生

「すり味噌」の登場により、味噌が調味料として使われ始めます。

お湯にすり味噌を溶かした「味噌汁」が日本の歴史に登場したのも、この鎌倉時代です。

当時の武士の食事は主食のごはんと汁物、おかず、香の物が添えられていました。和食の基本スタイルともいえる「一汁一菜」は「味噌汁」なくして誕生しえなかったとも言えるでしょう。

室町時代:味噌の自家醸造の始まりと味噌汁の浸透

(1)味噌の自家醸造が始まる

室町時代になると、各地で大豆栽培が奨励されるようになり、大豆の生産量が増えました。

庶民の間で自家製味噌を作り始めるようになったのもこの頃です。

(2)味噌料理の広がり

庶民に広がっていった味噌は、家庭料理にも使われ始めます。

郷土料理として現在も残っている味噌料理の多くは、室町時代に作られ始めたとされています。庶民の間に「味噌汁」が浸透したのもこの時代です。

味噌の歴史② 戦国時代~江戸時代

器に入った味噌汁

味噌が日本人の食生活だけでなく、生活の一部に根付いていくまでの時代「戦国時代~江戸時代」までの歴史について解説していきます。

戦国時代:戦陣食・経済政策としての味噌の役割

(1)味噌作りが広がり、味噌を携帯するようになる

戦の多かった戦国時代、戦国武将たちは味噌作りを奨励し、各地で味噌が作られるようになりました。

現在の味噌どころには戦国時代から味噌作りを続ける地域も多く、「信州味噌」は武田信玄、「仙台味噌」は伊達政宗の出身地です。

味噌を干したり焼いたりして作った「みそ玉」は、携帯用の保存食として戦国時代に大変重宝されました。

(2)味噌は戦陣食そして経済政策としても欠かせなかった

戦国時代の味噌は、調味料でありながら貴重な栄養食でもありました。

保存がきいて携帯しやすかったため、味噌は戦陣食として戦に欠かせない食料だったのです。

また、戦国武将たちの指示のもと、各地で味噌作りが盛んに行われ、伊達政宗によって作られた味噌の製造・貯蔵所「御塩噌蔵」からも、当時の味噌作りの重要さがうかがえます。

戦の備えとしてだけでなく、大切な経済政策としての役割も果たしていたのが味噌ということです。

江戸時代:庶民の健康を支え、味噌の食文化が開花

(1)各地の味噌が江戸に集まり、味噌料理が発達

人が集中した江戸では、食生活に欠かせない味噌の生産が追いつかないという問題が起こります。

そこで考えられた解決策が、発達した陸路・海路を使って日本各地の味噌を江戸に運ぶというもの。美川・三州・仙台など、気候・風土の異なる地で作られた様々な味噌が江戸に集まるようになったのです。

また、当時の江戸は女性よりも男性の人口比率が高く、外食も盛んでした。

そのため、当時すでに一般的だった味噌汁だけでなく、味噌を使った様々な料理が登場し、味噌のいわゆるレシピ本も作られるほど、味噌料理が盛んに作られていました。

(2)調味料だけでなく健康食品としても活躍

江戸時代の味噌は人々の食生活になくてはならないものであると同時に、健康食品としても一目置かれていました。

当時の人々は味噌の持つ栄養価に着目しており「医者に金を払うよりも、みそ屋に払え」ということわざが残っているほど。

各地の農家は家族の健康を保ち飢えをしのぐため、飢饉のときでも味噌の自家醸造は欠かさなかったとも言われています。

味噌の歴史③ 明治時代~昭和時代

味噌樽

味噌の流通と技術の進歩が顕著になった時代「明治時代~昭和時代」の歴史について解説していきます。

明治時代:「漉(こ)し味噌」の登場

(1)3種類の味噌が流通

当時の味噌は大きく分けて3種類。白っぽい色をした白味噌、赤っぽい色をした赤味噌、豆を包丁で刻んで藁で熟成させたいわゆる低級品のたま味噌でした。

様々な味噌が流通するようになり、より多くの人々に味噌が届くようになったのです。

(2)味噌作りのスピードアップと機械化

温度管理の技術が発達し、味噌作りがわずか数カ月で行えるようになりました。

機械の導入により「こし味噌」や「すり味噌」の製造も可能になったのもこの時代。

それまではすり鉢で粒を潰してから濾して使っていた味噌をそのままの状態で味噌汁に使えるようになりました。

昭和時代:味噌の提供形態の変化と生産技術発展

(1)新たな味噌の登場

昭和30年代後半までは農耕を中心に味噌の自家醸造が続いていました。

その一方で、それまでの味噌とは異なる、新しい種類の味噌「出汁入り味噌」が登場。味噌汁作りに欠かせない出汁取りの手間がなくなり、簡単に美味しい味噌汁が作れるようになりました。

女性の社会進出が進んだ時代に、家事の負担を軽減する役割を果たすこととなります。

(2)味噌を取り巻く容器の変化

昭和40年代頃を境に、味噌の販売方法に変化が現れます。

それまでの量り売りから、プラスチック容器や袋に入った状態で販売されるパッケージ売りへ。

また、冷蔵庫が家庭に普及したこともあり、味噌の保存容器も従来の樽から冷蔵庫に入れやすい大きさのカップに変わっていきます。

(3)味噌作りの技術がさらに発展

味噌の醸造期間のさらなる短縮が可能に。

明治時代に数カ月で作れるようになった味噌ですが、昭和時代にはわずか20日間で作れるようになっていきます。戦後の日本で味噌が全国に行きわたるのを後押ししました。

味噌の歴史④ 現代

味噌蔵

現代の味噌事情を海外にも目を向けて解説していきます。

味噌の流通と多機能化

(1)全国各地の味噌を手軽に

現在日本各地で地域ごとの気候や風土を活かした特色のある味噌の製造が行われています。

流通の発達やインターネットの活用により、特色溢れる味噌が全国各地に流通し、様々な場所で郷土の味を楽しめるようになりました。

(2)多機能味噌の登場

独自性を打ち出し、他の味噌との差別化をはかろうとする傾向が現れてきます。

出汁にこだわった様々な出汁入り味噌やカルシウム入りの味噌、減塩味噌などが普及。さらには通常の味噌だけでなく、液体や粉末のものも登場しました。

使い方や好み、生活スタイルに合わせた味噌選びを行えるようになっていきます。

日本の「味噌」から世界の「miso」へ

近年の日本では、外食やファストフードの利用増加、食事の嗜好変化などにより和食離れが進んでいると言われています。

一方で、海外のセレブや健康志向の人々を中心として、世界中で和食人気が高まり、2013年には「和食:日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。

和食や日本の食文化をテーマにしたイベントが海外で積極的に開催され、様々なジャンルの和食店も海外で広がりつつあります。それに伴って海外での味噌の需要が年々増え、味噌の輸出も増加傾向にあります。

海外での味噌は味噌汁=「miso soup」としてだけでなく、パンに塗ったりドレッシングにしたり、シチューに使ったりと、様々なアレンジが加えられています。

健康食品として、さらには和食の特徴である「旨味」を楽しめる食材として味噌は海外の人々にも親しまれているのです。

参考:みそ健康づくり委員会

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この記事を書いた人

パン作りと温泉をこよなく愛する2児の母。老後は伊豆で大きな犬と暮らすのが夢です。豆乳が好き、猫は苦手。

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