日本酒の歴史と文化ー和を醸す酒、日本酒

日本酒の歴史と文化ー和を醸す酒、日本酒

味わい、香り、料理との相性…。
日本酒を味わうポイントはたくさんありますが、飲むときの雰囲気や相手も大切ですよね。

長い間、日本人にとって日本酒とは舌だけで味わうものではありませんでした。
日本酒の魅力をもっと味わうために、その歴史と文化を見ていきましょう。

日本酒の起源

日本酒造りが始まったのは、稲作が伝来した紀元前4世紀頃だと考えられています。

その頃の政治は祭り(神を祀ること)と密接に結びついていました。日本酒の歴史は、祭祀や儀礼に使うものとしてスタートします。

神様と共に飲む酒、日本酒

神様と共に飲む酒、日本酒

日本の最古の歴史書である『日本書紀』には、「木花咲耶比売命(このはなさくやひめ)が狭名田の稲で天坩酒を醸造した」という記述がみられます。

自然の力を畏敬し、その恵みに頭を垂れてきた古代の日本人。

彼らにとって日本酒は神がもたらすもので、酒で酔うことは神の恵みだったようです。

『万葉集』では次のような歌もみられます。

この神酒は わが神酒ならず 倭なす大物主の醸みし神酒 幾久幾久

(この神酒はわたしが造った酒ではない。倭の国を創られた大物主という神の醸された神酒だ。幾世までも久しく栄えよ)

酒を造ると、できた日本酒は神前にそなえて祈り、その後村人たち全員で分けあって飲みました。神が愛でた酒を相伴することで、神と人、人と人との結びつきを強めたのです。

これは「神人共食(直会:なおらい)」と呼ばれ、現代でも地鎮祭などで見られる風習。現代でもこのような風習が残っている国は世界でも珍しいそうですよ。

古代の日本酒は「口噛み酒」?

古代の日本酒は「口噛み酒」?

アニメ『君の名は。』で有名になった「口噛み酒」。

麹を使う代わりに唾液に含まれるアミラーゼで生米に含まれるでんぷんを糖化し、自然の酵母で酒を醸す方法です。

アニメでは、巫女役の少女が口で噛んだ米を器に吐き戻すシーンが「衝撃的!」と話題になりました。

古代の酒造りはすべて口噛み酒だったのでは? と思われた方も多いかもしれませんが、実際はそうではありません。

麹がいつ頃から利用されていたのかについては正確にわかっていませんが、『播磨国風土記』(8世紀初頭)には、コウジカビを使った酒造りについての記述がみられます。

当時は炊飯しても密封も冷蔵もできない環境。米にコウジカビが生え、それが自然の酵母で発酵する、ということの発見自体は、もっと早かったのではないかとも考えられます。

麹を使った酒はアルコール度も高く、より安定して作れるため、以後口噛み酒の記述は文献で見られなくなってゆきました。

現代まで続く日本酒の祖先は、麹により醸造されたものなのです。

貴族たちの「契約と和の酒」

7世紀頃に律令国家ができると、酒は国で造るものとなりました。造酒司という醸造のための役所が設けられ、多くの官人を使って酒造りを行っていたようです。

続く奈良時代・平安時代(8世紀~12世紀)の貴族社会では、日本酒は宮廷での儀礼や饗宴において欠かせないものとなり、今日まで続く飲酒儀礼が誕生します。

昔は回し飲みが基本? 飲酒儀礼「式三献」

昔は回し飲みが基本? 飲酒儀礼「式三献」

同じ盃から酒を飲み一体感を得るというのが、古の日本の飲酒作法。

当時の宴では、食事や酒宴の前に主と客とで3度の回し飲みをする「式三献(しきさんこん)」という儀礼がありました。

1つの盃には肴が1つつき、武士の出陣前であれば「搗ち栗(=勝ち栗)」「昆布(=よろこぶ)」など、語呂合わせで縁起を担いだようです。

今日でも結婚式で行われる「三三九度」はこの名残で、新郎と新婦が同じ盃から三度日本酒を飲むという契約儀礼です。

「日本酒を飲み交わす」ということは、相手との結びつきと信頼を高める特別な行為だったんですね。

「無礼講」の本当の意味

「無礼講」の本当の意味

現在でもよくつかわれる「無礼講」という言葉。

身分や地位を無視して行う宴会のことですが、これは直会(神人共食)や式三献など共同体での儀礼を表す「礼講」からきています。

古代の日本の宴は「礼講」を済ませてから「無礼講」、という形になっていました。

決して「無礼な振る舞いが許される」という意味ではありませんので、気をつけてくださいね!

『万葉集』に見られる「和の酒」

『万葉集』に見られる「和の酒」

「ここに天を蓋(きぬがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす」

ー新元号「令和」の出典となった、『万葉集』梅花の歌の序文の一部です。

この「觴(かづき)を飛ばす」というのは、酒を酌み交わすという意味。こことあとに続く部分を現代語訳で見てみましょう。

「ここに天をきぬがさとし地を座として、膝を近づけ酒杯を酌み交わしている。
すでに一座は言葉をかけ合う必要もなく睦み、大自然に向かって胸襟を開きあっている。
淡々とそれぞれが心の赴くままに振る舞い、快く各々が満ち足りている。
この心中を、筆にするのでなければ、どうして言い現し得よう。中国でも多く落梅の詩編がある。
古今異なるはずとてなく、よろしく庭の梅を詠んで、いささかの歌を作ろうではないか。」

中西進『万葉集 全訳注原文つき』(講談社)より

こころよく、和やかな雰囲気が伝わってきます。

紀元前に村人たちが神前で分け合った酒と同じように、貴族たちの間でも日本酒は「座の一体感」を醸成する役目を果たしていたようです。

またこの文からは、自然の美や趣を味わう風雅なひとときのお伴としての日本酒の姿も見えてきます。

現在でも「花見酒」や「雪見酒」などとして残る、自然を愛でながら日本酒を飲む文化はこの時代につながっているのかもしれませんね。

酒の語源は?

酒の語源は?

酒はなぜ「サケ」と呼ばれることになったのでしょうか?

諸説ありますが、加藤百一氏による論文「万葉の古代と酒」では、「サケ」の語源は「サカエ(栄え)・キ(御酒のキ)」であると推察されています。

『万葉集 仙覚抄』には「さかという詞はさかゆの辞なり。酒宴はみな人のさかへたのしむ故なり」とあり、賑やかな宴の様子から名付けられたようです。

醸造技術の確立~民衆の酒

鎌倉時代(12世紀末~14世紀)になると、民間でも酒造りが盛んになります。

現在の日本酒造りの原型ができあがったのは室町時代(14世紀~16世紀)。公家や武家、僧侶などに酒が広がりました。

平和で文化の栄えた江戸時代(17~19世紀)には、冬期に酒を造る「寒造り」や保存のための「火入れ」などの技術が定着。

生産量も増え、ようやく日本酒が民衆の手に届くものになっていきます。

食中酒としての日本酒

食中酒としての日本酒

海外では「食事もつまみもなしでビールだけ」というような飲み方も一般的なようですが、日本では食事やつまみなしでお酒を飲むことはほとんどありませんね。

前述した飲酒儀礼「式三献」では、1つの盃に1つの肴がついていました。

現在メニューを表す「献立」という言葉は、元々はこの「献(盃が一巡すること)」にどのような料理を配膳するかという計画のこと。

日本酒は古くから食事と合わせるものだったのです。

寿司や天ぷらなど、今でも愛される日本食が生まれた江戸時代は、日本酒と様々な料理との相性が吟味されるようになった時代。

当時の居酒屋では、店先に肴を吊るしてお客を呼んだそうです。

芋の煮ころがしやおでん、カモの吸い物やネギ鶏の鍋焼きなどが楽しまれていたそうですよ。

現代に暮らすわたしたちにとっても、行って一杯飲んでみたいようなお店だったのかもしれません。

江戸の人はお酒好き?

江戸の人はお酒好き?

江戸時代の居酒屋は、一番多い時でなんと約1,800軒。飲食店全体の23%も占めていたそうです。

橋本直樹氏による論文「日本人の飲酒動態」によると、当時の江戸の人口を100万人とした場合、日本酒の消費量は、なんと一人あたり年間72リットルになるそうです。

当時の日本酒は、水を加えることにより現代の日本酒よりアルコール度数が低かったのではないかと言われていますが、それにしてもすごい数字ですね。

酒豪が飲んだ酒量を競う「酒合戦」も行われたそうで、「どれだけ飲めるか」という個人戦や「飲み潰れたほうが負け」という東西に分かれての合戦なども行われていたようです。

アルコール中毒が心配になりますが、大丈夫だったのでしょうか? 江戸の人々は、かなりお酒が好きだったようです…。

日本酒新時代へ

明治時代の政府による重い課税、昭和時代の太平洋戦争などにより、日本酒の酒造は大きなダメージを受け、数多くの蔵が廃業を余儀なくされました。

ビールやワインなど競合する海外の酒には酒税がかけられなかった時期もあり、日本酒は消費者離れに悩まされます。

一方で、新たな酒米の開発や酵母の採取など、技術の研究や開発は進み、より品質のよい酒、バラエティに富む酒が生まれるようになりました。

近年は若い杜氏も増え、革新的な味わいの日本酒も次々に誕生。

2013年に和食がユネスコ無形文化遺産に登録されると、海外でも”Sake”として注目が高まるようになりました。

今、奥深い日本酒の魅力が見直されています。

「もっきり」いつ生まれた?

「もっきり」いつ生まれた?

「盛り切り」「もっきり」とは、升の上にグラスを置き、グラスになみなみと日本酒を注いで升に溢れさせて供すること。日本の居酒屋でよく見られるスタイルです。

この「もっきり」は、昭和に生まれた大衆文化。

元々は、酒が今よりも高価だった時代に少しでもたっぷり楽しんでもらおうと、酒屋がグラスいっぱいに日本酒を注いだことがはじまりです。

なみなみと注ぐのはいいのですが、こぼれてしまってはもったいない!…ということでグラスの下に受け皿がつくようになり、次第に「どれだけこぼすか」で店側が心意気を表現するようようになっていきました。

現在ではおもてなしの心の表れ、風情ある飲み方として定着しています。

「もっきり」の飲み方は?

「もっきり」の飲み方は?

1. グラスの酒がこぼれそうで心配な場合は、先に升に酒をこぼしておきます。

2. グラスの中の酒を飲みます。この時、グラスが濡れているようならお手拭きで拭って飲むといいでしょう。

3. それから升の中の酒をグラスに注ぎ、グラスから飲みます。

日本のお酌文化、どう思う?

日本のお酌文化、どう思う?

海外の方や、日本人でも若い方には「理解できない」という人もいる「お酌」という文化。

相手の盃が空になる前に酒を注ぐことで、主に年少者から年長者に対して行われます。

「自由に飲んだ方が楽しい」という言い分ももっともですが、このお酌文化も、日本酒がコミュニケーションのために飲まれてきたという歴史によるものなんです。

これまで見てきたように、日本人にとってお酒は長らく他人と和やかな関係を築くためのものでした。飲食だけが目的なのではなく、「共に飲み交わす」ことにより親交を深めることが大きな目的だったのです。

「必ずしなければならない」と義務として感じると苦痛かもしれませんが、お酌は「一緒に楽しみましょう」「あなたと親交を深めたいです」という気持ちを伝える手段にもなります。

「相手に話しかけるきっかけ」と思えば、何だか役に立ちそうな気がしませんか?

元々が「和」のためにできた風習ですから、年少者側も年長者側も、あまり意固地になったり強制したりせず、相手の気持ちを大切にしたいものですね。

日本酒の歴史と文化についてのQ&A

「日本酒」と呼ばれるようになったのはいつからですか?

古来から「酒(さけ)」と呼ばれてきた日本酒。
『世界大百科事典』(平凡社)によると、「日本酒」と呼ぶようになったのは明治以降、ビールやウイスキー、ワインなどの外来酒の国産化が始まってからだそうです。

現在、海外では”Sake”と呼ばれている日本酒が、日本では「日本酒」と呼ばれている…なんだか不思議な現象ですね。

日本人がお通夜でお酒を飲むのはなぜ?

悲しいはずのお通夜で日本人がお酒を飲む姿は、外国の方には奇異に映ることもあるようです。

中国の『魏志倭人伝』には、弥生時代の日本人の生活について「(喪に服するとき)喪主は哭泣し、他人は就きて、歌舞、飲食す」と書かれています。

「飲食」だけでなく「歌舞」があることに驚きませんか?
当時の日本人にとっては、葬式というのは死者の慰霊のための「まつり」の一種だったのではないでしょうか。

また、日本酒は日本文化の中では「穢れを払う」ものともされてきました。
「お清め」の意味をもつ慣習でもあるのかもしれません。


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この記事を書いた人

パン作りと温泉をこよなく愛する2児の母。老後は伊豆で大きな犬と暮らすのが夢です。豆乳が好き、猫は苦手。